温故知新の部屋
ワイがや通り今昔写真集
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ワイがや通り(上空から)
京成津田沼駅
東漸寺前から京成津田沼駅方向を望む
みはし湯前から京成津田沼方面を望む
京成津田沼駅前交差点付近から踏切方面を望む
京成津田沼駅踏切付近から駅ロータリー方面を望む
植草ふとん店付近から、駅ロータリー方面を望む
菊田公民館入口から京成津田沼駅方面を望む
旧菊田保育所(⇒菊田公園)
旧商工会館(⇒津田沼ビル)
千葉銀行津田沼支店
習志野市の人口推移
名称 | 津田沼村 | 津田沼町 | 習志野市 | 現(9/30) |
年 | 明治22(1889)年 | 明治36(1903)年 | 昭和29(1954)年 | 令和4(2022)年 |
人口 | 4,451人 | 6,712人 | 30,246人 | 175,065人 |
世帯数 | 814戸 | 1,213戸 | 5,012戸 | 83,137戸 |
世帯人数 | 5.47人 | 5.53人 | 6.03人 | 2.11人 |
明治22(1889)年4月1日:町村制施行
谷津村・久々田村(=菊田村)・鷺沼村・藤崎村・大久保新田村の5つの村が合併して千葉郡津田沼村が誕生
旧村の区域により、谷津・久々田・鷺沼・藤崎・大久保の各大字を編成
明治36(1903)年6月3日:町制施行
千葉郡津田沼村⇒千葉郡津田沼町
昭和29(1954)年8月1日:市制施行
実籾・愛宕・安生津・長作・天戸・屋敷台(馬加の一部)を編入して習志野市が誕生
大字久々田をもって津田沼町を編成
当時のメインストリートは京成津田沼駅前通りだった!
昭和40(1965)年頃から
東京湾に面した谷津町・津田沼町・鷺沼町(当時の呼称)地先の干潟が埋め立てられて、袖ヶ浦団地などが造成され、習志野市に編入
昭和42(1967)年、袖ヶ浦団地の入居開始
昭和45(1970)年代の初めに、第2期の埋め立て工事が始まり、干潟のほとんどが失われ、秋津・茜浜・香澄・芝園地区として生まれ変わった
昭和50(1975)年頃から
JR津田沼駅周辺の再開発と大型商業施設の誕生により、商業の中心はJR津田沼駅の方に移っていった
京成津田沼駅前通り商店街は駅前通りの名称を「ワイがや通り」と名付け、商業の盛り上げを図っている